the simple

思考を整理をするブログです。

芯のない意思決定はただのギャンブル

 

物事の意思決定には必ず自分の中の芯が必要だし、その芯のない意思決定はただのギャンブルだよという話。あるAという決断をするとする。その時に、「なぜAを選ぶか?」という自明すぎる問いを言語化して答えられる状態が必要だと僕は改めて思う。物事には理由や根拠が必要だからと言われればそうかもしれないが、仮説検証する上で「なぜ?」という問いはあまりにも大切だから、僕はこの問いが必要になると思っている。

 「なぜ?」という問いを挟むことで、Aという決断に至るには、こういう考え方をしたからだ、という筋道が立つ。そうなると、Aという決断が仮に失敗だった際に、ああその考え方は違ったんだなという検証ができる。そして、自分にとって成功をおさめた場合には、その意思決定のプロセスは他のものにも転用できるかもしれない。


なぜこんな話をしたかと言うと、最近は「それっぽい決断」が非常にやりやすくなっているからだ。情報が溢れている状態で、その情報に惑わされて、外部の人間やメディアがそう言うのだから、自分のこの意思決定は間違っていないと思い込めるようなものがたくさんある。例えば、「総合商社で働く事でグローバルに活躍できる人間になる」という文言について考える。じゃあなぜ総合商社で働く事でグローバルに活躍できる人間になれるのかというと、「事業の規模が世界だから」、「ものを持たない人間力が売りの仕事だから」、「裁量権が大きいから」、「海外駐在にいけるから」、、、等陳腐かもしれないがそのような理由が挙げられる。じゃあなぜ事業の規模が世界だとグローバルに活躍できる人間になるのか、日本で外国人を相手に仕事をしている人はグローバル人材ではないのか、メーカーなどのものありきのビジネスで海外に出ることとは違うのか、裁量権が大きいは必ずしも必要な要素なのか、等の無限に問いは出てくる。その全ての問いに自分なりの回答を出せるだろうか。自分なりの回答が出せていない場合、その意思決定には芯がなかったと言わざるを得ない。


ある意思決定をする時に、理由は必ずいくつかある。先ほどの例だと、「自分が総合商社を選んだのは、ものを持たない商社の中で働いていくことで、ビジネスを構築させることを学び、地球規模のビジネスに触れることで、グローバルに活躍する人間になるためだ。」という状況を考えてみる。ここで仮に、数年経っても全く自分でグローバルに活躍できる人間になっていないのならば、自分の意思決定には間違いがあったのかもしれない。少なくとも、ものの有無は関係ない、ビジネスの大小、規模は関係ない等を感じるかもしれない。はたまた、グローバルで活躍できる人間になるために選ぶでき選択は商社ではないかもしれない。自分が就活時に考えた理由は、目標達成のためには不必要なのかもれないし、もっと他に優先すべきことがあるのかもしれない。たとえば、海外で活躍するためには専門的なスキルが必要→そのスキルは英語力の有無に左右されずに評価されるものが良いかもしれない→プログラミングを勉強してエンジニアとして海外で認められるスキルを身につけてから海外に出よう。という考え方もできるかもしれない。


上記の例は全く思考されていないが、自分のした意思決定になぜを繰り返すことは絶対に必要だ。たとえ、その意思決定が間違っていたとしても、間違いの要素を分析することができる。そうした時に仮説検証はめちゃくちゃしやすくなるし、その間違いを繰り返していくことで自分が求めていたものが達成できるのだと思う。なんとなく意思決定をしてしまうと、何が間違っていたかがわからなくなる。だからこそそのような意思決定はギャンブルだと思うし、正しい意思決定をするくせが付きづらくなる。たとえば、なんとなく今の環境が好まないから、とりあえず環境を変えてみる。行動としては良いのかもしれない。しかし仮に変化した先の環境が嫌だった場合、自分としてはどう折り合いをつけるのだとうか。少なくとも譲れないことトップ3くらいは決めて意思決定をしないと、まさに流されて生きていく事になる。


過去の時代は新卒から定年まで同じ企業で働くのが普通だった。そんな時代だったら、自分の選択したものを嫌がなんでも好きになったり、納得しなくてはいけなかったかもしれない。だけど今は、仕事選びに関してもトライアンドエラーが認められていると思う。自分がある判断基準で選んだ企業が違う場合、いいじゃないかと僕は思う。その判断の過程で自分の考えの軸が定まっていくのだから、それが職業選択のしかるべき姿なのではないかと思う。考えるのってめんどくさいから、みんな自分が下した意思決定だけは間違っていないと思いたがる。そんなことはないし、間違ってもいいんだよってことを浸透させていきたい。


ではでは。