the simple

思考を整理をするブログです。

投資と消費

社会人になると学生の時以上にお金のマネジメントを行い、お金を使う機会が学生時代と比較すると格段に増える。その際に、お金の勉強をしているかしていないかで、きっと長期的に見たら変化があると思う。僕は内定者期間にお金の勉強をまとめてしたつもりだ。お金の成り立ちや、世の中の金融商品の仕組み、節約術、投資運用、貯金方法などの様々なものを座学ベースで勉強した。お金というものに対して真摯に向きあい、その使い方に関しても自分なりのこだわりを手に入れたと思っている。タイトルの話だけど、お金を支払うという行為は同じでも、それが投資か消費かという視点で物事を見ると、自分のお金の支払いのスタイルが見えてくる。


投資は辞書からその意味をひっぱると、” 利益を得る目的で,資金を証券・事業などに投下すること。”とある。そして、消費は” 欲望充足のために,生産された財貨・サービスを使うこと。”と定義されている。結論から言うと、自分にとってリターンのあるものは投資、一次的な欲望充足は消費と言える。言わずもがな、投資に対してお金をかけた方がいいと感じるだろう。もっと生活感のある言葉でいうと、”意味はあるか”という点である。自分のお金を払うタイミングで、これって意味あるの?と自問するのは原始的だけど、効果的だ。例えば、誘われたらどこにでも顔を出してしまう人は、この飲み会行って意味があるのか、と一呼吸考えることも一つの考え方としては良いと思う。とにかく、どのような視点でも良いから、自分にとって跳ね返ってくるであろうことにお金をかけると言うことは支払いの一歩めとしては必要な点である。

 

と、内定期間中には結論を出して、多少ケチになることもあったが、これが自分のためにならないからお金を出さないと考えることが多くなった。そこで一つ感じたこと。それって結構多くのチャンスを潰してしまっている可能性がある。例えば、その飲み会おそらくつまらなくて、5000円に見合う価値はないと、行く前に判断しているかもしれない。自分の目で確かめる事なく、推測で物事を判断する習慣になってしまうのではないか。そして、自分の好きなものの中でしか生きていけないような人間になるのではないかと思う。えり好みをした結果、自分を肯定してくれるようなコミュニテイに居心地よく感じすぎてしまい、自分を刺激するような人物との接触が減少するのではないかと思った。


僕としては、まずは自分の気持ち良いと思えるものにしか、お金を払いたくない。まだ他人のことや社会のことを考える余力はなくて、自分にさえ跳ね返ってきてくれたら、お金を支払うという気持ちだ。自分は大富豪になったら寄付をすると考える人のほとんどが大富豪になっても寄付をしない、という研究を聞いたことがある。誰かのために尽くそうとする人は、自分がたとえ貧しくても、募金をする傾向にあるという。他社への奉仕は自分には直接的に跳ね返ってこない。だとしたら、これは消費なのか。明らかに違う。かといって、投資といえどもしっくりこない。今日は結論がでない。僕としては、早く消費で満足するフェーズから抜け出して、自己投資をどんどんしていけるような個人になりたいなーって思ったり。
ではでは。